一眼レフにこだわるとはどういうことなのか
こだわりと違和感
待てど暮らせどK-3 Mark IIIの続報が出ない。そんな冬を乗り越え、季節が春へと移り変わるころようやく発売日と価格が公表となりました。かなりの難産だったというような話があちこちから漏れ伝わってきていましたが、そのパフォーマンスは待たせるに足るものとなっているようで期待も高まります。
しかし……K-3 Mark IIIの発表に先立って発表されたJ Limited 01やリニューアルされたLimitedレンズ群が踏み絵ともなる手放しで喜べない状況でもあります。
それぞれのプロダクトはそれぞれに魅力的です。そしてそれを否定するつもりはまったくありませんが、2020年7月16日に発表されたPENTAX STATEMENTとの間に少しばかり違和感を覚えました。
PENTAX STATEMENT
写真が好きだからカメラを造る。
写真を愛するからこそ、写真をよく知るからこそ、写真好きに選ばれるカメラを造る。
対話するように撮れるカメラを理想とする。
感性と創造力を駆使し、被写体と言葉を交わすように自分だけの画を創れるカメラをめざす。
撮影プロセスまで愉しめるカメラにこだわる。
ファインダーを覗く、ピントを合わせる、シャッターを切る、画を創る。すべての「撮る快感」を追求する。
数値では測れない領域まで挑む。
数値的な高性能だけを求めるのではなく、開発者自身の感性をも盛り込んで深い味わいを追求する。
ユーザーの「写真体験」を資産とする。
ハードウェアだけでなく、撮る、創る、鑑賞する、すべての心躍る「写真体験」をユーザーと共有したい。
極めて個人的な印象ですが「本当に?」という思いが拭えません。STATEMENTに込められた想いは理解できます。しかしK-3 Mark IIIがいかに高いパフォーマンスを誇るボディであろうと、それに見合うレンズが頼りないことは事実ですし、快適に撮影するための周辺アクセサリーが不十分(例えばL型プレートやマクロ用ライトなど)であることも否めません。そのための新型DA★ 16-50mmF2.8の発表だったのでしょう。
にも関わらず新型のDA★ 16-50mmF2.8でなく、(ユーザーの間で)さほどの不満があるわけでもないFA Limitedのリニューアルが先んずるのは理解に苦しみます。(あくまで順序の問題でJ LimitedやHD FA Limited自体は素晴らしいプロダクトだと考えています)
ファインダーの見え味、レンズやカメラの手触り、官能的な描写、それらが「愉しみ」のひとつであることは疑いようがありません。けれどKマウントの「一眼レフ」としてこだわるのであれば、システムとしての完成度や機能性も捨て置けない要素ではないでしょうか。(サードパーティアクセサリーが望めない現在、メーカー純正アクセサリーとしてフォローしてもらいたいと感じるのはわがままでしょうか)
こだわりが実現するもの
さて、待望のフラッグシップ発売に水を差すような話ばかりでも気が滅入りますので前を向いた話に変えたいと思います。K-3 Mark IIIが「対話するように撮れるカメラを理想とする。」というSTATEMENTを体現すると感じられるポイントについてです。
それがホワイトバランス微調整のステップの微細化。これまで最大で±7の範囲でブルー・アンバーまたはグリーン・マゼンタの調整が可能でしたが倍のステップ数、つまり±14段階で調整が可能となるようです。(CP+で公開された動画より)
ペンタファンでも主軸のコンテンツとなっているカスタムイメージは、これまでも積極的にイマジネーションを具現化するツールとして機能していました。ただ少しだけもうちょっと微妙な加減が欲しいと感じることも多く、このアップデートはとても嬉しいポイントです。もちろんペンタファンとしてもこのアップデートに対応するために準備を進めています。
少々?違和感があるこの数ヶ月のPENTAXの動きですが、その違和感が裏切られるサプライズを期待してK-3 Mark IIIの発売を待ちたいと思います。